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本校の沿革(明治~昭和)【本文】
明治 6.5 貫穿舎(かんせんしゃ)支舎(本校貫穿舎は川村)として延命寺を仮校舎に充て開校 10.4 寒田神社の東側に校舎を建てる(延命寺の護摩堂を移す) 12. 貫穿舎より分離、「松田学校」となる 17. 金子村三育学校に合併、金子校の東方に移転 20. 三育学校より分離、校舎を現在地(松田町庶子)に移す 25. 「尋常松田小学校」となる 31. 高等科を設置する「尋常高等松田小学校」となる 41. 児童数の増加により、校舎の改築を行う 大正 3. 校舎の改築落成祝賀運動会を開催 10. 郡内有数の大規模校に発展(720人) 12.9 大震災、本校舎三棟とも大傾斜、出入不能となる 14.7 増改築校舎の落成式を挙行 昭和 16.4 「松田国民学校」と改称 19.8 横浜市鶴見区末吉国民学校の児童、疎開(学校及び延命寺に分宿) 22.4 「松田町立松田小学校」に改称 27.3 校旗制定 28.1 校歌制定(作詞 大木惇夫・作曲 長谷川良夫) 28.2 音楽研究発表(県教委委嘱) 30.2 校舎改築(竣工) 33.12 学級経営研究発表 35.12 算数科研究発表(割合指導) 38.2 理科研究発表(学習指導上の問題点) 39.11 理科、社会科研究発表(46年まで毎年発表会開催) 「思考発展の契機」「素材の教材性」「目標が子どもに具現するとは」等、 松田小方式と呼ばれる授業形式を確立 41.2 学研より、理科、社会科教育研究に対し、表彰をうける 44.10 岩石園完成(寄贈) 46.12 PTA、県教委表彰をうける 49.3 現校舎完成(鉄筋4階建)、開校百周年記念誌発行 51.6 児童指導研究発表(県教委指定) 56. プール起工式(5月)、プール開き(7月) 57.11 最良PTAとして、文部大臣表彰をうける 58.6 研究発表「だれもがむちゅうになる学習」全教科の指導を通して 61.11 研究発表「だれもがむちゅうになる学習」理科・社会科を通して 63.4 県教委推薦研究校として、国語科(作文)の研究をすすめる【添付ファイル】
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